鐘楼(しょうろう)流し (3) 








「おばあちゃん、だめ。ここにはお父さんもお母さんもいないもん」

「いない? それがおまえの答えかい?」


ぴくり、と眉ぎわに皺を寄せた魔女に。


「うん」


何の迷いもこだわりもなく、すとんと肯いてみせたとたん。




「大当たりーーーーーーーーーー!!!!」




やんやの喝采に包まれて、不思議の町を後にする。

目抜き通りを駆け抜けて、緑の草原を息せき切って横切って、赤い時計台のたもとの人影に目を凝らす。

そこには。






「お母さーーん! お父さーーーーん!!」








よかった。これで、帰れる。
みんなで、帰れる。










お母・・・・さーーん・・・・お父さーーー・・・・・






































「・・・・・ン? セン?」

「・・・・あ・・・・?・・・・」

「おい、だいじょうぶか? セン?」





目を開けると。
視界一杯に差し込んできた白い朝日を逆光にしょって、姉同様に慕っている娘の顔がこちらをのぞきこんでいた。



「・・・・リ・・ンさん・・・・・」

「うなされてたぞ? 夢でも見たか?」







     ---------あ。・・・・・ゆ、め・・・・・?






「ひでー顔。汗と涙と鼻水でぐちゃぐちゃだぜー?」



うん・・・と生返事をしながら、千尋はのろのろと体を起こし、枕元の手拭いを取る。



「あの・・・わたし、何か寝言とか、言ってなかった・・?」

「・・・・。いいから汗拭け」

「・・・・うん」



額の汗をぬぐいながら薄く目を開けると、煎餅布団にあてられた継ぎはぎのけばけばしい花柄------おそらくは湯女の商売用の着物の着古しだろう------が嫌でも目に入った。







     ---------また、見ちゃった。あの『夢』






家族揃って、無事に元の世界に帰れたという『夢』

そうなりたいと思っていた、ハッピーエンドの『夢』







     ---------ごめんね・・・・お父さん、お母さん・・・・。












朦朧としていた意識が、少しずつはっきりとした輪郭を帯びてくる。
それと同時にのしかかってくる重い『現実』を再確認し、少女は人に聞こえないよう気をつけて、小さな吐息を落とした。


















自分はあの時。両親を、



















助けられなかった・・・・。


















10頭の豚の中から、








大事なふたおやを、
見分けることができなかった・・・!




















その結果、彼らは豚として、自身は下働きの小湯女として、この湯屋に残らざるを得なくなり。

そしてそのまま、この、時間の経過も月日の流れもどことなくつかみどころのない世界で、いくつ季節を送ったのか、もうわからない。

両親を救うどころか、・・・・・・いつ食料として屠殺されるかとびくびくしながら、それでも懸命に働いているうちに。






   肩先で揺れていたポニーテールは、背中まで届くようになった。

   ボーダーのTシャツと赤いショートパンツは似合わなくなった。

   黄色い運動靴も白いソックスも、気づかぬうちに小さくなって、
   身には合わなくなっていた。







あいかわらずの痩せっぽちではあるけれど、からだつきも確実に変わってきている。
それが自分でもわかるのが嫌で、そういうことがあまり目立たない水干という服装は、内心ありがたかった。



さらに、豚の身ではあるけれど、親たちもひとしく年をとっている。
いやむしろ、豚の姿でいるぶん、老いと衰えは人の形の自分に比べ早いようにも感じられて、それを考えると千尋はたまらなく不安だった。






「目ぇ覚めたんなら、ぬぼーとしてないでさっさと起きろよ。・・・・おまえ、今日も例の『おデート』の約束あるんだろが?」


言いながら、リンはとっとと妹分の布団を引き剥がし、勝手にどんどん片し始める。



「・・・やだ、あの、・・・・リンさん、・・・そんなんじゃ、・・」



今日は、湯屋の月に一度の休業日。


女部屋の面々も、みなのんびりを決め込んでいる。
惰眠を貪る者、朝食兼用の菓子を傍らにおしゃべりに花を咲かせる者、出かける支度に浮き立っている者、---------みな、思い思いの時間を楽しんでおり。


この人間の子の場合、休日は大抵『とある人物』がお迎えにやってきて、どこぞへ出かけていく。



自分で片付けるからいいよぉ、と言いながら、もごもご寝具をまるめる人の子の顔はまだ赤く擦りなしたままで、起き抜け寝ぼけ顔というよりは一晩泣きあかしたというほうがぴったりくる腫れようで。


その理由におおよその見当がついているリン。
実は、さっきの「寝言」も聞こえていた。





    -------また、おふくろさんたち呼んでたよな。





親離れするには少しばかり早い年ごろに、なんとも中途半端な失い方で保護してくれるものをなくした。

死別でも、生き別れでもない。でも、自分のことを覚えてもいない。
手厚く供養して踏ん切りをつけることもできなければ、心から甘えることもできない。


さらに、両親をそういう境遇に陥れてしまったのは自分だと思い込んでいるふしがある。

神への供物を無断で食べてしまったのは彼らなのだから、お前のせいじゃない、と何度言い聞かせても、悲しそうに首を振る。


可愛そうだと、思う。




「さあ、その小汚ねぇ顔、洗ってきな。『百年の恋も冷め』られちまうぞ」




こういう場合、気持ちをそちらから逸らすのに、一番手っ取り早いのは色恋沙汰話題だと相場が決まっている。

・・・相手があの小生意気な龍である点、あまり気は進まないが。とりあえず。





「あのう、ちがうんだってば、、、その、、、わたしたち、そんな----」

「うるせ! とにかく、あそこのうっとーしーの、なんとかして欲しいっつってんだ!」

「え?・・・・あっ!!」



リンがくい、と顎でしゃくってみせた方向に視線を向けて。
千尋は慌てて立ち上がった。






窓から差し込む朝日の白さに無造作に包まれ、半開きになっている女部屋の障子。


色褪せた畳の上に、障子の桟(さん)が斜めに落とすひしゃげた四角い影模様。

その、波のように並んだ枠の形の連なりをずうっと一番向こう端までたどったところに。

人待ち姿で軽く柱にもたれ、こちらに背を向けて立っているすらりとした男の影がひとつ、粗末な障子紙越しに透けていた。



女部屋内の気配の変化を察したのか、その人影がさわりと立ち位置を変えて振り向いたらしい。

ひと束ねにされた彼の長い髪の影が滑るように背を離れ。
その影の形は、そこに起こった空気の流れをそのままなぞって優美な弧を彼の周りにひと描きし、また、静かにその背に戻った。





そこにばたばた駆けつけた人間の娘。
がたべしがたたっと、色気も素っ気もない音で障子を開けて顔を出す。


「ごめんなさい! その、ちょっと寝坊して・・・・」



言いかけて、彼女は部屋中の女たちの視線がくすくすと自分に集まっているのに気づき、大急ぎで廊下に出ると、後ろ手にぴしゃんと障子を閉めた。



くたびれた障子紙を透かして、寝癖頭もそのままにぺこぺこ謝っている小柄な少女と、それを笑って宥めているらしい若い男の姿が、子供向きの影絵芝居のように、白い陽だまりの中に映し出される。


もう、恒例になってしまっている、休みごとのお馴染みの二人の光景に、室内の女たちは肘を突付きあって笑っている。




顔だけ洗ってくるからもうちょっと待ってて、とわたわた水場へ走ってゆく人の子に、ゆっくりでいいよ、と男は軽く手を振り、彼女の姿が階下に消えたことを確認すると、障子の外から女部屋に低く声をかけた。



「リン。リンはそこにいるか?」


呼ばれることがあらかじめ分かっていたらしく、すたすたと戸口に顔を出した狐娘に、男は素早く小さな鍵を手渡した。


「すまないが、また頼まれてくれないか」


無駄のない動きでその鍵を受け取り、リンは小声で白衣の上司に尋ねる。


「今夜は何人?」

「二人だ」

「わかった」

「助かる。せっかく休みの所を、いつも申し訳ない」

「いいけどよ、ハク様。いつまでもセンに隠しとくのもどうかと思うぜ?」



一瞬、若い男は眉間をかすかに曇らせたが。
すぐ、不自然なほどに爽やかな笑みを浮かべ、けろりと言ってのけた。




「惚れた弱み、ということにしておいてくれないか」

「へ?」






    -------・・・ぬけぬけとよく言ってくれるぜ。ったく。






毒気を抜かれたリンは、話をかわされたことを怒る気にもなれず、舌打ちしながら受け取った鍵を懐にしまいこむ。


そこに、本当に言い訳程度に顔を濡らしたなり、ごく大雑把にまとめただけの髪と、いかにも走りながら腰紐結んできましたと言わんばかりの乱暴な着方の水干、といったひどいいでたちの千尋がぜいぜいと駆け戻ってきた。



「おまた・・・・」

「こらセン!ああもう、みっともないっ!!」



姉役の娘は引ったくるように妹分を障子のこっちに引っ張り込むと、髪だの着物だのをわしわし整えてやる。



「え、、、あの、いいよぉ、リンさん、道々自分で直しながらいくから・・ハク待たせてるし、・・」

「ばかやろ! こんなだらしないっつーか、しどけない格好で男の前に出るんじゃねー!」


紅のひとつも差さないのはともかくとして、これじゃあまるで道端の浮浪児とかわんねぇだろがっと叱りつける、姉貴役だか母親役だかわからない狐娘。

と、叱りつけられている人間の子を。

くすすすす、と含み笑いで大湯女たちがからかう。



「いいじゃないのさ、リン。寝乱れたままの姿ってのも、また色っぽいものさね、セン」

「えっ」

「きれいに直してやっても、どうせすぐむかれちまうんだし、ねぇ?」

「えっええっええええええっ!?!?」

「ささ、ハク様おまちかねだよぉ?」

「あああああの、ち、ちがいます、ちがいますってば、ええとその、、、、」

「なに言ってんすか、姐さん方!! こんなネンネつかまえて悪い冗談やめてくださいよっ!!」



廊下から室内の騒動を苦笑まじりに窺っていた待たされ人も、潮時を見計らって女たちに声をかける。



「そのくらいにして、センを私に返してくれないか」

「はいはい、もう、ほんとに仲がよろしゅうございますねぇ」

「だからっ、そういうのじゃないんですって、やめてくださいってば、、、」




女達はけらけら笑いながら、せっかく洗った顔をまた真っ赤なべそ面にしている人間の娘を、ぽーんと男のもとにはじき出す。




「ごゆっくり〜〜〜」




勢い余ってたたらを踏んだ娘の肩を軽く受け止めた龍の青年は、そのまま彼女の手を引いて渡り廊下を降りてゆく。


ひゅうひゅうきゃあきゃあと冷やかしの声がにぎやかに飛び交う中、結局二人はいつものように仲睦まじく肩を並べて、出かけて行くのだった。





その後姿を見送りながら。








   -------------仲がいいのは結構なコトだけどさ。








なんか『違う』んだよな、・・・・・と、リンは思う。









彼は------ハク様と呼ばれる帳場頭の龍は、変わった。あの人間の娘が来てから。 それはここの誰もが認めるところ。

愛想がよくなったとはお世辞にもいえないが、なんとなく雰囲気がやわらかくなって話しかけやすくなったし、顔色もよくなってそれなりに笑顔も見せるようになった。

むろん、仕事への厳しさは以前と変わりないし、個人的な感情で彼女を優遇したり、勤務中べたついたりすることは決してない。

が、おのれの気持ちを隠すつもりもないらしく、休みごとにああやって、遠慮も臆面もなく女部屋へやってきては、部下たちの目の前でさっさと彼女を連れ出していく。


口かしましい女たちにちゃちゃを入れられるのは毎度のこと、でも、特に表情を変えるでもなく、否定もしなければ肯定もしない。

女たちから言わせれば、『からかいがいがない』というか、『可愛げがない』というか。


とにかく、彼をからかってもつまらないとばかりに、湯女たちはその分相手の人間の子をつついて遊ぶわけだが、彼女の方は、何を言っても平然としている男の方とは大違いで、



「ねぇねぇハクさまってばさあ、あの顔でどーやってあんたのこと口説くわけぇ?」



などとでも言おうものなら、顔を真っ赤にして、違いますそんなんじゃないんです誤解ですやめてください、、と一生懸命、時には泣きそうになりながら、必死で申し開きをするのである。


その様子がうぶで面白いと、女達は大喜びで彼女を玩具にするのだが。








ただ一人、彼女の姉貴分であるリンだけは、なんとなく複雑な気分でそれを眺めていた。



二人の交際に反対しているわけではない。





妹分の態度がどことなくいつも生半可というか煮え切らないのがどうも気にかかるのだ。

湯女達にからかわれている時も、照れているというよりは、どう説明したらよいのか迷って、本当に困っているという風情に、彼女には見えるのだ。






どうしても気になるので、一度問い詰めたことがある。





ほんとにアイツのことが好きなのか、と聞くとあいまいに頷く。

惚れてるのか、と畳み掛けると違うという。

じゃあ皆に誤解されるようなことするな、と言うととても困った顔をする。

無理やり付き合わされてるのか、と詰め寄ると大きく首を振って、ハクはそんなことしない、という。



そして最後は、お願いだからそれ以上聞かないで、と懇願されるのだ。








    -------やっぱり、何か『変だ』。



どうも腑に落ちないこの不自然さは何なのか。



    -------ハクのヤツにしても。



不誠実な感じは決してしないのだが。




リンは懐に忍ばせた鍵を握り締めた。





    --------休みごとにセンを連れ出す本当の理由は、
        むしろ『こっち』なんじゃないだろうか。














♪この壁紙はさまよりいただきました。♪