鐘楼(しょうろう)流し (30) 







ひょぅうう、と雪まじりの風があざ鳴り、掘っ立て小屋同然のそまつな病人部屋をきしませる。


療養室とは名ばかりの、つまるところ、客商売をいとなむ場から病人をやっかい払いするためだけの、隔離部屋。

ぴうぴうとせわしなく隙間風が吹き込み、そのたびに行灯(あんどん)の火がその身を細く震わせる。


見るからに寒々しいその見かけのわりに、室温がさほど低くないのは、この部屋の地下に湯の排水溝が通っており、そこを通る湯殿の温水が一応の暖房設備代わりとなっているからだ。


もっとも、これは病人を気遣って設置されたものではない。


そもそもその温水溝は、病人小屋の一段上にある家畜小屋を暖めるために作られたもの。

冬場、湯殿から排出された捨て湯は、湯屋から菜園の地下を通って家畜小屋の床下に到達する。
排湯は家畜小屋の地下をぐるぐるとめぐり、ひととおりそこを暖めてから、崖下の下水口へと流れ落ちていく。

崖口の、下水口の真上に病人小屋が建てられている関係で、この粗末な隔離室も一応この『暖房』の恩恵にあずかれるのだが、温排水を熱源にしているためか、部屋の畳は常に湿気を含んでじっとりとしており、なんとなくかび臭い。布団も、しかり。

とても快適な寝室とは言いがたい。

それでも、この暖房設備があるのとないのとでは大違いで、これがなければ、室内はまたたく間に氷点下まで冷えこごり、健康体の者であっても一晩と持たないであろう。



このような劣悪な環境に愛しい娘を置かねばならないことに、ハクの胸は張り裂けそうだった。


彼女を気遣う言葉をどうかければよいのか言いあぐねている龍神よりも、先に口火を切ったのは、細く痩せた娘のほうだった。




「よかった。ハクが無事で」




ハクの胸の傷が完治していることに安心した千尋は、青白い指先で、ハクの着物のあわせを直す。

もともと華奢だった上に、さらに病にさいなまれたあわれな娘の身体。

その身に、大湯女の着古した襦袢は大きすぎ、きちんと合わさらない襟元からは頼りない頸や襟足がのぞき、動くと上身がずり落ちて、肩口から鎖骨の下まで胸元がはだけてしまう。

それは、だらしないとか、色めいている、などという姿態とは程遠く。

むっちりとふくよかな湯女であれば、艶っぽさをさらに引き立てるのであろう、その肌襦袢の濃厚な色柄が、千尋の薄い胸元を必要以上に誇張していた。



その彼女の胸の中から、例の七宝焼きの髪飾りがこぼれ出た。

豆科の花をまるくあしらった髪飾りは、以前見たときと同じように、粗末な麻紐に通して千尋の首にかけられている。




「わたしこのお守りにね、ハクが無事でいますように、って毎日お願いしていたの」




麻紐は丈夫なのが取り得ではあるが、弱った娘の肌には荒すぎる。
千尋の首や肩には、麻紐が擦れてできた赤い傷がいくつもついていた。




「・・・・ハク?」




その痛々しい傷を前に、眉をくもらせたまま、しばらくハクは黙っていたが。
やがて、両手をそっと千尋の首の後ろに回し、固く結ばれた麻紐を、解いた。




「え? あの、それは・・・・」




髪飾りは千尋の首からはずされて、ハクの手の中に収まる。
戸惑い顔の千尋の前で、ハクは懐から小さな包みを取り出した。

その中には、品のよい細工の、細い銀の鎖がひとすじ、包まれていた。




「町で買ってきたものなのだけど。店の売り子は『ねっくれす』と呼んでいた」

「ハク、お土産なんて・・・」

「銀は、まじないの力を強めるんだよ」




言いながら、ハクは七宝焼きの髪飾りから麻紐をはずし、かわりにその銀の鎖をつなぐ。
繊細な細工をほどこされた鎖は、愛らしい豆科の花をかたどった飾りによく似合い、行灯(あんどん)の灯をうけて、控えめな光をはなった。




「麻紐よりは、肌にも優しいと思う」




銀のネックレスに通した髪飾りを千尋の首に戻そうとして。
ハクは再び手を止める。




「・・・ごめん」

「え?」




突然謝られた意味を、少女が理解するより前に。
龍の青年は、彼女の両肩に手を添えて、そっとその体を引き寄せた。

そして、彼女の首筋の赤い傷に、唇を押し当てる。




「----------っ!? ハク?」




動転して思わず身を引こうとした千尋に、龍神は素早くささやいた。




「動かないで。傷を治すだけだから」

「--------------」




龍の身体は、自身が丈夫であるだけでなく、それがそのまま「薬」として珍重されている。

仮にも龍神の身体の一部を、おおっぴらに売買するような命知らずはあまりいないものの、少し怪しげなものをあきなう店に行けば、龍の鱗(うろこ)を粉にしたもの、髭(ひげ)を干したもの、爪を酒に漬けこんだもの、骨を焼いたもの、・・・そして時にはその血肉さえもが、様々な薬効をもたらすものとして、高値で取引されている。

唾液もむろん、多少の傷なら治してしまう程度の効能はある。


千尋の首筋を傷つけていた麻紐の痕も、ほどなく-------彼女が顔を真っ赤にして体をこわばらせている間に-------きれいに消えた。




「あああああのっ、ああ、ありがとう、ハク」




ハクは首を振り、突然娘の身体に触れた無礼をもう一度詫びてから、銀の鎖につないだ『お守り』を彼女の首に下げなおす。






ぴぅうぅうう、と、ひときわ鋭い氷風が吹き、戸口からひとむらの雪が室内に舞い込む。
千尋はぶるりと体を震わせた。

入り込んだ冷風に、さっと室温が下がる。
が、床下の温湯がすぐにそれを帳消しにし、雪ひらは布団をのべてある畳の上に届くことはなく、室内のもんやりした温気にあてられてべたりと床に落ち、ねずみ色の染みを作った。

瞬間、いやなかび臭さが室内に充満する。

温度はともかく、この湿気は病人に決してよいとは思えない。

ハクはさっと袖を振り、あたりの湿気を一蹴した。
部屋の空気はからりと乾き、じとりとした不快感はぐっと軽減する。

腐っても水神のはしくれ、水分を扱うことくらいは簡単だが、これはあくまでも一時的なこと。
自分が去れば、またこの部屋はしめっぽく、不安定な温度に包まれてしまうだろう。





「その・・・千尋」

「何?」



おそらく、千尋には断られるだろう、とは思いつつ、ハクは提案した。



「ここにいては、治るものも治らない」

「・・・・でも。決まりだし」

「なんとでも言い訳は考える。別の場所に、移らないか」

「別の場所、って?」



自分で言い出しておきながら、ここでまたハクは、言葉に詰まる。
別の場所といっても、差しあたってそれは自分の私室以外ありえない。


言いよどんだ龍の青年に、人間の娘は言った。




「心配しないで。さっさと病気治して、女部屋にもどるから」

「千尋・・・」

「それにここ、お父さんたちのところに近いから、便利なのよ?」

「・・・え?」




ハクがさっと顔色を変えた。




「まさかそなた・・・その身体でまだ、ご両親の世話をしているのか?!」




しまった、と千尋は思ったが、遅かった。
が、彼女には言わなければならないことがある。




「ハク、あのね。怒らないで聞いて」

「・・・・・・・」



千尋は、ぐっと腹に力をこめて、言った。

「ハクのお部屋の薬草を、分けてほしいの」



ハクは返事をしなかった。



「ハク、お願い!」




龍の青年は、つい、と立ち上がる。





「そなたは」

「?、、」

「そなたは、薬草が欲しかったから、私に早く帰ってきてほしかったのか?」

!!








* * * * * * * * * * * * * * * *







酷いことを言ってしまった・・・・




自分はどうしてこうなのだろう、と自室に帰った龍神はため息をついた。

視線を外に移すと、雪をぴしぴしと凍りつかせた窓枠に寄りかかるようにして、毒々しい緑色の薬草の鉢があった。


薬草だけが目的で、千尋が自分の帰りを待っていただなど、もちろん思ってはいない。

だが。

この薬草のことを持ち出されると、どうしても冷静でいられない自分がいる。

そもそも、千尋との関係がおかしくなってしまったきっかけは、この蕨(わらび)のような形をした麻薬まがいの薬草だ。


がしかし。
捨てるわけにも、いかないのだ。

万一のときに。
千尋の苦痛を取り除いてやれるのは・・・おそらく、この薬草だけだ。



ガラス窓に、自分の顔が写っている。
白面の若い龍の男の顔が、写っている。



自分は、万病に効くといわれる龍の身体を持っているのだ。









もし、ほんの少しでも自分の身体が千尋の薬となるのなら。









ハクは奥歯をかみ締めた。







この生き血を飲ませてでも




この目をえぐって食わせてでも助けるのに・・・!







龍の血肉には、傷を受けた皮膚や肉の再生を促す力や、病気のおおもととなる災いを、体外へ排出させるのを助ける力がある。


だが、彼女の体調不良は、そういう類の「怪我」や「病気」ではない。


千尋の病の原因は。

人間である彼女が。
人間がいるべきではない場所にありつづけてきたことだ。





そして、その原因を作ったのは。

ほかならぬ、自分だ。





中途半端に残る龍神の「力」で、彼女を「こちら」へ呼び寄せ。
そして苦しむ彼女を救う「力」は持ちあわせない、自分。






こんな身で、好きだなどと、よくもいえたものだ。







やるせなさに、奥歯をぎり、と噛んだとき、部屋の扉の外で、なにかがどさりと倒れる音がした。




はっとして戸口に駆けつけると―――――そこには雪にぐっしょりと濡れた肌襦袢一枚をまとった、千尋が倒れていた。




「千尋!? 一人でここまで来たのか?! なぜこんな無茶を―――――!」




抱き寄せると、その細い身体は冷え切っている。
切れ切れに何かを言おうとしているが、のどが冷えているため、声が言葉にならない。




「なんてことを・・・・死んでしまう!」




抱きしめる腕に力をこめ、ハクは彼女の着物から一気に水分を飛ばす。
じゅっ、と音がして、冷たく濡れた娘の襦袢は一瞬にして乾く。

とにかく室内に入れてあたためなくては、とハクが必死で彼女を抱えあげようとしたとき、やっと千尋の声が言葉を結んだ。




「ハク・・・ハク、たすけて・・死んじゃう・・・」

「大丈夫、とにかく中に」

「違う、の、」

「話は後だ」



一刻も早くとあせる龍神の身体を両手で押しのけて、人間の娘は訴えた。



「違うの、お父さんとお母さんが大変なの・・・、もう・・・」

「・・・・・!」

「助けてハク、お薬を、お願い、分けて」





千尋はぼろぼろ涙を流しながら懇願した。




「もう、だめかもしれない、・・・・・もう、これが最後かもしれないから、・・・」

「千尋、落ち着いて」

「もう苦しませたくない・・・・! お願いだから・・・・」




娘の必死の訴えに、それでも判断しかねている龍神を見て。









ハクの目の前で、千尋は。





襦袢の腰紐を、泣きながらその手で、解いた。









「・・っ!? 千尋、何を・・・・っ」



ばらりと前のはだけたあられもない姿のまま、千尋は悲痛な声で叫ぶ。



「ハク、わたしのこと、好きだって言ったよね!?」

「ち、ちょっとお待ち、ちひ―――――」

「言った、よね!?」



そして、震えながらぺらぺらの襦袢を脱いだ。




「 たすけて ――――― 」
















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