<其の九>
切なきに過ぎるといはば五十弦
なおも余せる糸を断つべくも



【読み】

せつなきに すぎるといわば ごじゅうげん
なおもあませる いとをたつべくも



【めぞぴあのの独断と偏見による解釈と一押しポイント!!】

その音色があまりに切なすぎるから、
弾いてはならぬと言われたという、『五十弦の琴』。
でも、私の哀しみの糸は、その琴の弦よりも、余りあるほどに長い・・・・。
ああ、断ち切らねば。



わたしは、『五十弦』のことを知らなかったのです。歌からただよう物悲しい風情から、なんとなく、悲しい気持ちを歌いつづる、琴などの弦楽器のことかしら、と。普通、琴は50本も弦を張りませんけど、琴に50本の弦を張ってもなおあまるほどの、想いの糸、という意味かと。。。

で、ですね。

『五十弦』について、Kenさまに教えていただきました。
以下の文は、その引用です。


「五十弦」の典拠ですが、中国の古代神話に、この世界を開いた伏羲という神が、女神の素女に五十弦の琴を奏でさせた。その音色のあまりの悲しさに鬼神も天地も慟哭し、そのため伏羲はそれを奏することを禁じた、という伝承がありました。(「史記」や「後漢書」など)


李 商隠 はこの伝説をもとに次のような詩をつくっています。


「錦瑟端無くも五十弦
 一絃一柱華年を思う
荘生の暁夢 胡蝶迷い
望帝の春心 杜鵑に托す
滄海月明らかにして珠涙あり
藍田日暖かにして玉烟を生ず
此の情追憶となるを待つべけんや
ただ是れ 當時 すでに惘然」

おそらく愛の追憶がテーマなのであろうといわれています。その対象であった女性は死去したのちの。
「ただ是れ 當時 すでに惘然」は、「そのときでさえ、わたしたちのことは朦朧として夢のようであったのに・・・」
と、ぼくは解釈していますが・・・



解説を読ませていただいて、ほぅ・・・・とためいき。Kenさまはほんとに教養の深い方ですよね。。(尊敬)

♪この壁紙はAOIさまよりいただきました♪