「あ! あそこ?」 はるか波の彼方に。 ほんのり白く霞む陸地が見えてきた。 近づくにつれ、その姿は次第に鮮明に。 「わあ・・・・。」 一面真綿に包まれたようにぼんやりと見えていたものは。 しだれる枝に房なして咲き乱れる雪柳。 瑞瑞しい緑の若枝に。 少女の小指の爪ほどの、まろく白い小花がたわわに揺れる。 降り立つとその木々は。 ちょうど少女の背の高さほどにこんもりと生い茂り。 「すごいすごいすごいーー! こんなにたくさん咲いてるの見るの初めてーー!!!」 あふれんばかりの花房の中を、少女が走る。 その姿を、目を細めて龍が眺めていると。 ぽふん。 何かにつまずいて転んだのか、急に千尋の姿が花に埋もれて見えなくなる。 ----------千尋?! ほんの一瞬でも、愛しい少女が視界から消えると、不安になる。 白龍はあわてて、千尋が埋もれたあたりへと飛び急ぎ。 鼻先をもぞもぞ茂みに突っ込んで、その姿を探す。 すると。 「あははーー!引っかかった! こっちだよーーーー!」 尾っぽの方で。 満面の笑みの少女が、花の海から顔を出す。 ずばっ。 その声にあわてて顔を上げた龍の顔は花粉まみれ花びらまみれで。 っっくしゅん!!! 花粉が鼻腔をくすぐって。さすがの龍も大きなくしゃみ。 勢い、また、花が飛ばされる。 花びらが。こんどは長い睫毛に絡みつき。 こそばゆいので、しぱしぱまばたき。ぶんぶん首振り。 「やだー。ハク、顔、めちゃくちゃだよー。」 笑いながら、千尋がまた、花の中にぱふっと姿を消す。 龍が追いかける。 少女が逃げる。 あはははは。こっちこっち。 身の軽い、小さな少女は花にまぎれるとなかなか見つからない。 胴体の大きな龍が不器用に花を掻き分けて、少女を捕らえようとするのだが。 すばしこい人の娘は、ころころ笑いながらそれをかわしてしまう。 此方か!? ちがうよー! それなら、ここだ! はずれー。こっちだってば。 今度こそ! あははっ! ほらほら、ここだよー! 大波小波。花の波。 うねる揺らぎは遠のいてまた近づいて。 人の子と龍神の鬼ごっこ。 どう見ても分が悪いのは、龍神様。 ----------よぉし。それなら。 白龍は、少し考えて。 花園の中に仁王立ちになると、胸一杯夜風を吸い込んだ。 それから、少女が隠れていそうなあたりに見当をつけて。 ふぅぅううううううううーーーー!!! 勢いよく息を吐く。 「きゃああああーーーーーっ!!!!」 龍の起こした風は春の嵐となって。 千尋を覆い隠す、すべての雪柳をどおと散らし上げた。 夜空いちめんに広がった細かな花びらは。 月の光を浴びて砂のように光り。 瞬間、満天の星に。 そして。 白い星の花々が。 ふるふる。空から。ふってくる。 隠れるものを失った少女の上に。 探し物を見つけた龍の上に。 少女の髪にふりつもる。 雪よりしろい、わたぼうし。 少女の肩にふりつもる。 雲よりかるい、白打掛。 花でいろどる花嫁衣裳。 ・・・・・翡翠の龍を酔わせる束の間の、幻。 龍が柔らかなまなざしで少女を見やる。 と。 娘の瞳は・・・・何故か、かたくなで。 ・・・・・? 千尋はつかつかと白龍に近寄ると。 ぺし! いきなりその小さな手で、白い龍の横っ面をはたいた。 「ハク! なんてことするの! 神様でも、していいことと、悪いこと、あるんだよ!」 え・・? 遊びのつもりだったし。 綺麗だし、むしろ喜ぶだろうと。。。 「かわいそうじゃない! お花、、、、こんなに・・・・・・」 つぶらにうるんだ瞳で睨まれて、白龍はおろおろとうろたえる。 いや、もちろん、ぶたれた頬は痛くも痒くもない。 が。 愛しい少女に、よかれと思ってしたことが。 なぜ、彼女を怒らせることになってしまったのか。 ええと。 どうしよう。 悪ふざけが過ぎたか。 大きな図体で途方に暮れている龍に。 ふるふる。『星』は。降り積もる。 きっ、と固い視線を向けられるのに耐えられなくなって。 今度は。 龍が、花に埋もれて身を隠す番。 できるだけ、身を縮こめて。 でも。 ぷっ。 千尋は吹き出した。 ・・・・『頭隠して尻隠さず』。 からだが大きいんだから、仕方ないけど。 小さくなって隠れたいんなら。 龍の姿やめて、人の形になればいいじゃない。 龍神さま。もうすこし、・・・賢くなろうね? 「いいよ。許してあげる。」 少女の声が和らいだので。 白龍はおそるおそる、おもてを上げる。 「そのかわり」 そのかわり? 「今夜は一晩中、あそんでね?」 ・・・・・・。 御安い御用。そのくらいで赦してもらえるのなら。 一晩でも。二晩でも。・・・・ずっと、・・でも。 そなたの望むが、ままに。 龍の緊張が、緩む。 頬も、緩む。 -------何して遊ぶ? 「およめさんごっこ!」 碧の瞳がひときわ、細められる。 --------構わぬとも。 ふる花の中で。 祝言の真似事。 悪くなかろう。 喜んでお相手つかまつろうとも。 白龍は散り落ちた雪柳をひとえだ咥え。 少女の耳元に、挿してやろうとする。 「違うの!!」 え? 首をかしげる龍の傍らに、少女はぺたんと座り込み。 「はい。ここに頭のせて」 言われるがままに、少女の膝に頭部をゆだねると。 編み編み編み。 彼女は、嬉しそうに、そのたてがみを編み始めた。 --------ち、千尋? 「うふふ。ハクが、花嫁さんの役だよ?」 ---------!? 何か聞き違えをしたかと、顔を上げようとしたところ。 その頭をぱふんと、押さえつけられた。 「きれいにしてあげるんだから! おとなしくするの!」 --------・・・・・・・・・・・・。 編み編み編み。 少女はわらべうたを口ずさみながら、ふんふんと楽しそうに、龍のたてがみを結う。 嬢(いと)はん 嬢はん どこゆくの。
わたしはお嫁にまいります。 細い指先で。器用に毛束をとりわけて。 その中に花を編みこんで。 そらめでたいな なに持たそ。
帯など どうや? おおきに、そしたら西陣の。 金糸銀糸縫い取って。 花輪も編んで。 角にかけ。りぼんに結び。 着物はどうや?
おおきに、そしたら加賀友禅。 染めてくだされ、御所車。 鱗にも。 フリルのように花びらを飾り。 帯上げは?
萌黄の綾の総しぼり。 龍神を着せ替え人形替わりに、嬉嬉として遊ぶ少女に。 なされるがまま。 まあ、それなりに幸せな、白い龍。 微妙に複雑な思いが横切らぬでもないが。 なんとなんと 美しゅう
嫁御のおしたく できました 目を閉じて少女のわらべうたに耳を澄ませると。 やわらかに、時がとまる。 ひとときの。白い・・・夢。
<<< 終わり >>>
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